大判例

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仙台高等裁判所 昭和38年(う)117号 判決

控訴人 被告人 菊地滋明

弁護人 瀬上卓男

検査官 猪狩良彦

主文

原判決を破棄する。

本件を仙台地方裁判所古川支部に差し戻す。

理由

本件控訴趣意は、弁護人瀬上卓男名義の控訴趣意書に記載するとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点ならびに第二点(事実誤認、審理不尽、理由不備、理由のくいちがい)に対する判断

原判示第一の事実は、要するに、被告人が昭和三七年八月二二日夜ひどくめいていして普通乗用自動車を運転中、同夜一〇時一〇分頃古川市内で佐々木誠一郎の普通乗用自動車に接触する事故を起し、このとき、佐々木からも、酔つていて危険だから運転をやめるように注意をされたし、自分自身でも、このまま運転を続ければ、どこかで事故を起して、他人に傷害を負わせる危険のあることを認識しながら、あえて、時速約四〇キロメートルで運転を続けた結果、それから約二〇分後には、同市内の路上で、進路の前方右側に停車中の普通乗用自動車に正面衝突し、同車の運転者等に傷害を負わせるに至つたというにある。この事実によれば、原判決は、被告人には、各被害者に対する暴行のいわゆる未必的故意があるとした趣旨と解されるが、刑法にいわゆる故意とは具体的な犯罪事実の認識(予見)をいうのであるから、被告人が、単に、どこかで事故を起す危険のあることを自覚しながら運転を継続したというだけでは、衝突の相手方を認識したわけでもなく、具体的事実を対象としない抽象的な事故発生の危険意識に過ぎないのであるから、また、傷害罪の成立に必要な暴行の故意があるということはできない。その後、現実に被害者が乗車している自動車を発見した際に、これと衝突の危険のあることを認識しながら、あえて、これを容認して進行したという場合であつてこそ、初めて、暴行の未必的故意があるといい得るのである。ところが、以上に掲記した原判示第一の事実は、右いずれの点を採り上げて、被告人に暴行の未必的故意があるとしたかは文義上必ずしも明確ではないのであるから、同事実だけでは、被告人の所為が傷害罪を構成するか否かも不明なことになり、この点で、原判決には理由不備の誤りがあるといわなければならない。

のみならず、記録によれば、被告人は、古川市稲葉字小金原一六の一番地先路上で、進路前方右側に停車中の普通乗用自動車(運転者鈴木忠男)を約三〇メートル手前で発見したときには、めいていのため、同車が停車中であることにも、また、自車が道路の右側を進行していることにも、全く気がつかず、相手の車が交通規則に違反して、道路の右側を対面進行して来るものと錯覚したが、すぐに、ブレーキをかけるなどして(衝突地点まで全長約二八・一〇メートルのブレーキ痕がある)、衝突を回避すべく努力したことが認められるから、故意に衝突したものとは必ずしも認め難いのである(被告人の捜査官に対する各供述調書と司法警察員作成の実況見分調書参照)。もつとも、被告人は、原審第一回公判においては、傷害の公訴事実はそのとおり相違ない旨陳述しており、原判決もこの供述を証拠に引用したが、同公訴事実は、原判示第一の事実と全く同様で、故意の存否の点で重大な疑問があるのであるから、この事実を自白したからといつて、被告人の暴行の故意を認定するに足る証拠とはならないのである。その他、記録を精査しても、被告人が過失によつて本件の事故を起して、各被害者に傷害を負わせたと疑うべき資料ならばともかく、(業務上過失傷害罪で処罰するためには訴因の変更が必要)、故意に傷害したと認めるに足る証拠は存しないことになるから、原判決が、その挙示する証拠によつて、原判示第一の事実を認定したことは、審理不尽のそしりを免れないとともに、判決の理由にくいちがいのある場合に該当し、この点でも、また、破棄を免れない。

論旨は理由がある。

なお、原判決は、原判示第一と第二の事実を併合罪として処断し、一個の刑を科しているのであるから、原判決は、結局全部破棄を免れない。

よつて、その余の控訴趣意に対する判断は省略し、刑訴法三九七条一項、三七八条四号によつて、原判決を破棄し、同法四〇〇条本文に従つて、本件を原裁判所である仙台地方裁判所古川支部に差し戻すこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斎藤寿郎 裁判官 斎藤勝雄 裁判官 杉本正雄)

弁護人瀬上卓男の控訴趣意

第一点原判決には事実誤認又は審理不尽の違法があり、該違法は判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一、原判決が認定した事実は「被告人が酩酊のうえ、昭和三十七年八月二十二日午後十時十分頃普通四輪乗用自動車(宮五す四四六一号)を運転して古川市稲葉字小金原八十一番地先路上でおりから前方道路端に待避していた佐々木誠一郎の運転する普通四輪乗用自動車に接触する事故を起したがその際右佐々木からこのように酔つて危ないから運転をやめるように注意されたのにかかわらずこれを振り切りこのまま運転を継続するにおいては再び通行人や車両等に衝突する事故を起し、他人に傷害を負わせるに至るかも知れないことを認識しながら敢えてこれを認容し、時速約四十粁で運転を継続し道路右側を南進して行つたため、同日十時三十分頃同市稲葉字小金原十六の一番地先道路において進路前方右側に北向きに停車していた鈴木忠男運転の普通四輪乗用自動車に正面衝突し鈴木忠男に加療三日間の右肘関節部打撲擦過傷を、同車の同乗者千葉広一に対し加療約五日間の左肩胛部打撲症等の傷害を与えたというのである。被告人は同日ビール二本、清酒コツプ四杯を飲み(焼酎一杯は飲んでいない)相当程度に酩酊していたことは確かであり、且佐々木誠一郎の運転する普通乗用車に接触し右佐々木から注意を受けたことも確かである。しかしながら被告人は原判決摘示の如く「このまま運転を継続するにおいては再び通行人や車両等に衝突する事故を起し、他人に傷害を負わせるに至るかもしれないことを認識」したことはなくましてこれを「敢えて認容した」ことはない。原判決摘示の如き概括的であり、且つ未必的であるところの何ら基本的特定性をもたない故意が傷害罪の故意としてあり得べきかどうかについては後述する。ここではまず原判決の故意の認定がいかに間違つていたかを詳論する。

二、佐々木誠一郎の車に接触した場所を第一現場、鈴木忠男の車に衝突した場所を第二現場と略称する。(イ) 被告人の運転する車は当時被告人の勤務する日本道路株式会社の所有するものであり、被告人は右乗用車の運転手として雇われ右会社の社員を乗せていたのであるが事故当日もまず会社の阿部を帰宅のためにのせ次に炊事のおばさんを乗せて同市三日町まで運転している。(被告人の司法警察員に対する供述調書)。被告人は右車を会社の車庫に納めに行く途中であり、それが被告人の義務であつた。(ロ) 被告人が佐々木誠一郎の車に接触した第一現場は古川市でも最も広い国道四号線(通称大崎国道といわれている)から中央タクシーの向い側を東側に入る幅三米位の細い道路の入口である。そこで不幸にして被告人は佐々木の車に接触した。その場所から直ちに路幅約二〇米位の国道に出た。被告人の会社車庫は約五〇〇米の近くにある。夜の十時すぎになれば右の国道はそれ程の交通量もなく人家もまばらである。(この点は実況見分調書にも出ていないが弁護人が古川に住んでいた関係上知つていることである)。国道はほぼ一直線である。かような事情から被告人としても運転に充分の自信があつたのであり、決して再び通行人や車両に衝突する事故を起し、他人に傷害を負わせるに至るかもしれない危険を予見していたものではない。(ハ) なるほど被告人の昭和三十七年一月三十一日附検察官に対する供述調書には「私自身としても相当酔つており、今事故をおこした状態からしても安全な運転をすることは出来ないような状態であり更に運転を継続すれば又人や物に衝突するような事故を起す結果人を怪我させたり物をこわしたりするに至るという事は十分予測できる状態だつたのである。」との供述がある。しかし右の供述は明らかに検察官の誤導尋問による任意性のない供述或いは検察官の作文である。彼自身字も満足に書けない状態にある。その彼が起訴状の文章のような供述をなし得ないことは明らかである。更に右の供述の中には被告人が結果発生を敢えて認容したことは一言も言つていない。原審第一回公判で被告人は起訴状の認否に対し「その通り間違いありません」と答えている。しかし、これは自分が事故をおこしたという点に対する答えとしてのそれであり難解なしかも通常人にとつては意味の判然としない未必的故意に関する記述を理解できる筈はない。現に被告人に対し第一審の弁護人は通常の交通事故事件であり業務上過失事件だと説明していたとのことである。

これに対し原審裁判官は何らの被告人質問もせず更に疑問をもつことも確かめることもしなかつた(第一回公判調書)。そして情状の証人一人を調べて結審してしまつたのである。原判決の故意の認定の証拠としては右の被告人の原審公判廷における供述と前記検面調書が存するのみである。

三、通常の常識をもつてするならば自動車運転者として他人に傷害を加えるかもしれない危険性を予測し敢えてそれを肯定して運転することは極めて異常なことであると考える。もしそのようなことが現実にあるとすればよほどの動機とかそれを肯定させるに足る周囲の状況がなければならぬ。ところが被告人には只会社に車を納めるという目的のほかに何も動機はなかつた。又周囲の状況としては第一現場から会社までわずか五〇〇米の大巾な路面の直線道であり第一現場から第二現場までは約二五〇米の間隔があるにすぎない。つまり第二現場は第一現場と車庫のほぼ中間であり原判決認定の如く第一現場から第二現場にゆくのに二十分間の時間は要しない。しかも被告人は第二現場で衝突する直前ブレーキをほどこし約二五米のスリツプ痕がある(第二現場実況見分調書)。鈴木忠男の運転する車は前照燈を消して停車していたのであり鈴木と千葉はその車の中で居眠りをしていたのである。(右両名の司法警察員に対する供述調書)。かかる状況のもとに於て被告人の自白の他にその故意を証明しうる何らの証拠も情況も存しない。原判決はこの自白に何ら疑問も抱かずこの判例上稀である道交法違反による傷害罪の故意犯を認定したのは明らかに審理不尽でおりかつ前記の情況から故意を認定したのは明らかに事実誤認である。

第二点原判決には理由不備又は理由齟齬の違法があり破棄を免れない。原判決は被告人の傷害罪の故意として前記の如く「このまま運転を継続するに於ては再び通行人や車両等に衝突する事故を起し他人に傷害を負わせるに至るかもしれないことを認識しながら敢えてこれを認容した。」と認定している。故意は判例上犯罪構成要件事実の認識であり結果発生の意欲でないと解せられている。しかし未必的故竟については従前の判例の中にも認容説をとるものが多い。(最高裁判例昭和二三年三月一六日刑集二巻二三九頁、高裁判例昭和二五年九月二六日刑集三巻四四〇頁)しかし傷害罪の如き結果犯にあつては右の構成要件事実は人の身体を傷害するという認識と同時に行為と結果との因果関係を認識する必要がある。然して構成要件事実は具体的な事実特定された事実である。未必とは結果発生に対する不確定性を言うのである。それは認識(予見)の対象となつた事実が全く不確定では意味をなさないのである。それ故自動車を運転していて何時どこかで人に衝突するかもしれないという認識は刑法上の意味をもたないものである。もしこのような一般的な概括的な認識ならば自動車運転者としては誰れもが持つているものであり刑法上意味をもつてくるのは具体的な危険の認識である。例えば前方に人が居た。それが近づいてきた、危険だと思つたがかまわずその人の方向に車を進めたという如きものである。いつたい原判決は被告人がいかなる具体的な危険を予見しその結果発生を認容したというのであろうか。原判決の理由をもつてしてはその点が全然不明であり明らかに理由不備である。

第三点原判決は被告人を懲役六ケ月の実刑に処したがこれは明らかに量刑不当である。被告人は酒を飲み酩酊のうえ二回の事故をおこしたこと、更に一応官憲の捜査から逃れようとしたことは情状としてはよくない。しかし幸いにも結果は比較的軽微であり鈴木が加療三日間千葉が加療五日間の打撲傷擦過傷の傷害をうけたに止まる。

右の両名に対しては車の修理代として金三四、一九〇円及び慰藉科として金一〇、〇〇〇円を支払済みである。

被告人は現在自分の親類にあたる古川市の菊才商店に勤務しておりこの事件は相当のシヨツクであつたらしくそれからは酒を飲めなくなるような薬を飲み、ひたすら悔い改め更生を誓つており、今度はよき指導者(菊才商店の主人)を得て勤務に励んでいる。被告人には昭和三六年頃窃盗の前科があり現在執行猶予中の身である。右窃盗事件は被告人が土工として新潟県に行つた際二ケ月分の日給が遅払いとなり、食に困つて仲間とともに土建会社飯場の鉄くづガス管をくず屋に売つたというものでありその被害額も金二、〇〇〇円そこそこのものである。

思えばかような罪は被告人の罪というよりは被告人の如きものに何らの生活の保障を与えない社会制度の罪である。被告人の本件行為は決して肯定されるべきものではない。しかし以上の情状を酌量のうえ御寛大な判決を賜わらんことをここにお願いするものであります。

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